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糖尿病で死んだ私の父の話

更新日:

こんにちは。

今日は実際に糖尿病が原因で死んでしまった私の父の話をしたいなと思います。

私のプライベートなど気にならないかもしれませんが、実際に糖尿病になるとこんなに悲惨な最期を迎えることになりますよ、という皆さんの戒めにしていただきたいと思います。

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発端は実家の火事

詳細は省きますが、2012年に家が火事にあいそれまで一緒に暮らしていた父と離れて暮らすことになりました。

お互いの部屋を借りるときは元気だったのですが、それからはあまり顔を合わせることなく、年に一度会いに行く程度になってしまいました。

少し父の様子がおかしかった

そんな中で2年ほどたったお正月に父に会いに行き、一緒に初詣に行ったのですが、どうも様子がおかしい。

歩いていくのに私に手をつないでほしいといい、歩くスピードも非常に遅かったのです。

父はもともとうるさいくらいに明るくて元気な人物だったのですが、その時の父は元気がなく、声もはっきりと出せていない様子でした。

その時はおかしいなと思いつつも会話がしっかりと出来ましたし、年のせいかな? と思って放置していていました。

たまには顔を見せに来い、という父の言葉もなあなあで聞き流していました。

かかってきた一つの電話

そして10月になりました。

友人の誕生日祝いに京都まで出かけていたところ知らない番号から電話が…

出てみると父の家の管理会社からでした。

2か月ほど家賃が滞納されているので保証人である私に振り込んでほしい、と。

父は大雑把ですがお金の管理はルーズな人間ではなかったのでその時点で嫌な予感しかしませんでした。

急いで大阪に戻り、父の家に行くとぽつんと一人部屋に座っている父・・・

家賃滞納してるって電話があった、何をしているんだとちょっと叱り気味に話しかけると、

「・・・・・・・おう」

というような返事。

色々話しかけてみると答えは返ってくるのですが、

  • レスポンスが遅い
  • 声が小さい
  • ずっとうなだれている

というような状態。

その後に聞いた話だと,もともとやっていたママさんバレーの監督もやめてしまい、一人でずっと過ごしていたとのこと。

受け答えもはっきりしない父を見て病院に連れていくことに。

出た診断は2型糖尿病

知らない間に父は糖尿病にかかってしまいました。

転げ落ちるように悪化する症状

父が糖尿病になった原因は典型的な店屋物の食べ過ぎ。

 

仕事はトラック運転手をしていたり、バレーボールの監督をしていたりとかなりアクティブな人生を送っていた父ですが、仕事を引退し年金生活に入るとやることもなくなりパチンコ屋と家の往復だけに。

 

仕事を引退した後も食生活はそのままに糖質、カロリー、脂質すべてが高い食事をとっていたので糖尿病になるのも早かったのだと思います。

私も父のことだから大丈夫とタカをくくっていたためにそこまで様子を気にすることもありませんでした。

今ではもっと気にかけていてあげればと後悔しています。

 

糖尿病と診断され、薬をもらうも症状がかなり進行していたために飲み忘れたりして一向に症状は治まらず。

また、かかった医者が正直頼りにならない医者で処方箋が多すぎたのか、低血糖症状に陥ったりと瞬く間に症状は悪化していきました。

 

そんなことをしているうちに、糖尿病網膜症という血管が詰まってしまって目がほとんど失明してしまい、部屋から出ると戻れなくなってしまったり、糖尿病神経障害のために一人で歩けず、無理やり一人で外に出て警察に保護されるなど、元気だった父の姿はもうどこにもありませんでした。

 

要介護診断をもらおうと申請を出して、要介護1の認定をもらってから、最高の5になるまでたった1年ほどしかかかりませんでした。

ちなみに糖尿病診断を受けている父をうどんに連れて行った兄に関しては今でも許していません。

色々ありましたが、絶縁状態です。

 

皆さんは絶対に糖尿病患者をうどんなんかに連れて行かないでくださいね。

おむつをほおばっている父の姿

今でも涙が出てきますが、父はアンパンが好きで私が小さいころはコンビニによく買い出しに行かされたりしていました。

 

糖尿病になった後も私が行くとよくアンパンをせがんできて、小さなアンパンを一つだけ渡して食べさしていたりしました。

よくないのはわかっていたのですが、この時はもう父が助かることはほとんどないだろうと予感していたので目を瞑っていました。

 

そんなある日のこと、父の家に行くと何か白くて大きなものを口いっぱいに空けて何かをほおばっている父の姿。

近寄ってみると、使用済みの丸めたおむつを取り出してパンと勘違いして食べようとしていたのです。

急いで取り上げたのですが、父は意味が分かっておらずパンを取り上げるなと小さな、とても小さな蚊の鳴くような声で抗議してくる始末。
自分の無力さがやるせなくて一人で泣いてしまいました。

 

目が見えず、一人きりで4畳半の小さな部屋で過ごしていた父。

一緒に暮らしたかったのですが、経済的な事情などでなかなか実現しないままこんなことになってしまいました。

借金してでも一緒に暮らしてあげればよかったです。

脳の血管が詰まり生死の境目をさまようことに

もう、どうしようもなくなり兄嫁の力を借りながら色々な病院に行って診断を受けるもどうしようもなくなってしまった父。

デイケアや老人ホーム、養護施設の空きが出るのを待ちながらもなかなか空きが出ずに父が一人のまましばらく経ちました。

 

ある時仕事中に兄嫁から電話がかかってきていて、折りかえすと父が死にそうだから近くの病院に早く来てくれと。

急いで仕事を切り上げ、病院に向かい兄嫁の姿が・・・

兄嫁の話によると様子を見に行ったが、うなだれているだけで何を話しかけても返事がろくに来ず、これはやばいと救急車を呼んだとのこと。

診断によると左脳の後方部分の血管が詰まってしまい、壊死してしまったようでした。

30分連れてくるのが遅かったら死んでいたとも。

 

今から思えばその方が幸せだったかもと思ってしまうのは私のエゴでしょうか。

それからはもう会話が成立しませんでした。

いきなり立ち上がってよっしゃー! と腕を上げてみたり、急にうなだれて反応がなくなってしまったり。

 

何やらジェスチャーでこちらに伝えようとしているのですが左脳がやられてしまっているために言葉が全然出てこなくなってしまっていて、結局父が私に何を伝えたかったのかははっきりとわからないままです。

 

そして徐々に寝返りを打つだけになったり、一日中眠るだけになったりといよいよ様子が悪くなってきました。

眠るように亡くなった父

ここからは特別介護老人ホーム、通称特養とよばれる施設に入り、3,4年ほど過ごしました。

 

症状はどんどん悪くなるばかりで、特養のスタッフさんたちもすごく頑張ってくれていたのですが、症状の改善は一向に見られず、最後は右脳も詰まってしまい、会話どころか寝返り一つ打てない植物人間のようになった後、早朝の午前6時頃に誰にも看取られることなく他界しました。

 

看護師さんが見回りに来た時にはもう冷たくなっていたそうです。

その2日前に明日お茶をもってくるね、と声をかけて帰ったのですが次の日が雨だったために明日にしよう、と思っていたところだったのでこれも後悔しています。

私が最後に父にかけられた言葉はたったそれだけの言葉でした。

未来は予測できませんが、やれることはやれるときにやっておかないと後々後悔することになります。

もう、私は父にお茶を飲ませてあげることはできません。

まとめ

いかがだったでしょうか

糖尿病になった一人の人間の発症から最後までをつたない文章ですが書いてみました。

のたうちまわって苦しんで死んだわけではありませんが、言葉が交わせず、歩くこともできず、ただ生きるだけの数年はさぞ父にとって苦しかったのだと思います。

死ぬときは誰の世話にもならずに死にたいといっていた父が私を含めかなりの人数の人たちに世話になって死んでいったというのはあまりに皮肉がききすぎています。

 

糖尿病になる人は自分の人生ですので勝手ですが、なってしまったらいいことなんて一つもありません。

周りの家族なども支えるために人生を犠牲にしてしまいますし、悲しませる結果にしかならないことはここに伝えておきたいと思います。

 

また、糖尿病予備軍の症状などを記事にまとめたいと思います。

すでに公的機関などがわかりやすくまとめてくれていますが、一人でも私のブログでその知識を知ることが出来ればいいなと思っています。

ダイエットなどとはちょっと違う重たい話でしたが、何かひとつでも感じていただけることがあればと思います。

本日もご覧いただきありがとうございました。

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